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0=∞=1 全てが一つ、皆が輝くディバインスパーク

アメリカでの平和活動体験記1999~2000  その2

第2章 私の活動


2−1 ブローシュアー


 NACの活動と私が提供できるプレゼンテーシヨンの内容を現地の人に知ってもらうために、次のようなパンフレット(ブローシユアー)を使った。
1ページめには、私の顔写真、連絡先(つまりホストファミリーの住所と電話番号)、NACに関する説明、私が紹介できる日本文化のリスト(折り紙、お茶会、おもちゃ、料理など)、2ページめには広島、長崎の被爆者に関係する映画のリストとその上映所要時間、プレゼンテーションに必要な備品などが記されている。
最初の訪問地ローチェスターでは、当初これを教育機関、教会、各種団体に発送した。しかし、送付先からはそう簡単には声がかからなかった。
会ったこともない人間を教室によぶことをためらうのも当然だし、テーマから考えて、宗教的、政治的に偏ったものになるのではないかと心配になるのだろう。そこで、これ以降、でかける時はこのブローシュアーを何枚か持参し、学校の教師や子どもの親など力になってくれそうな人と会うたびにそれを渡すようにした。団体の本部などを訪ねて助言を得たり、人を紹介してもらったりし、社会問題に関する集会や教会のイベントにはなるべく顔を出して発言させてもらい、私の活動を宣伝した。

2−2 プレゼンテーションの実際

 私は、この活動で自分が行うプレゼンテーションを組み立てる際、まず日本と日本に暮らす私自身を紹介することから始めることにした。
同時代に生きる日本人の考え方、生き方を聞き手の人々にできるだけ理解してもらい、そうした理解の上で原爆や平和、生きるということについて、ともに議論し考えていきたいと思ったからである。託児所から老人ホームまでありとあらゆるところを訪れたが、プレゼンテーションでは毎回様々な反応があった。
以下では私のプレゼンテーションの内容について述べてみる。

導入には、「1,2,3,4,5」という数字の日本語での数え方を使った。「いち」という発音は"itch(かゆい)"に似ている。
「ところで、みんな日本語で12345って言える?」そう言ってから、腕をかくまねをして「私は今何をしているでしょう?」と問いかける。"scratching(かいている)"と生徒が答えるので、すかざず、「どうして」と尋ねると"itch(かゆいから)"と答えてくれる。同じように、「2」は"knee(膝)"を使った。
このようにして日本語の発音に近い英語の単語を用いてジェスチャーをしながら「5」まで教えていくのである。
ここでたいてい笑いが起こるが、そうするとその後の進行がとてもやりやすくなる。生徒はおそらく「日本からのゲストスピーカーだって!?いったい何者だろう」と思っているので、最初にうち解けてもらうことはとても大切なことであった。


プレゼンテーションには、たいてい着物を着ていった。祖母の手作りの特製着物である。
実はマジックテーブで脇を留めるようになっているので簡単に着ることができる。何十回とプレゼンテーションをするうえで、これは非常に重宝した。ただし、誤解を招かれないように、生徒には「今日は特別に着物を着てきたけど、ふだんは日本人もみんなと同じようなウエスタンスタイルの服を着ています」「着物は、結婚式や卒業式など特別の時に着るものです」と説明する必要があった。


「これが私の名前です」「丸山陽子」「日本では、苗字が先で、名前はその次になります」というように自己紹介をした後で、いっせいに「陽子」と呼んでもらって、名前を覚えてもらうことにした。


日本文化というと、伝統的な文化が思い浮かぶかもしれない。侍、将軍、書道、生け花・・・とても奥深いのである。
突っ込まれたら大変そうだし、下手に答えて誤解されても困るので、ちょっと工夫して、独自のスライドを作った。スライドには伝統的な日本と現在の日本の様子、そして私自身の日本の生活を組み込んだ。
家族、友だち、学校生活、赤ん坊の私から成人式の振り袖姿まである。素顔の私を知ってもらいたかったし、これなら質問されても大丈夫だからだ。


持参した世界地図を見せて「日本」を指してもらう。日本で作られた地図だから日本が真ん中にあるということを説明し、米国の地図と比べてもらう。続いて、スライドを映しながら「ここはどこでしょう」と尋ねると、生徒は「ニューヨーク」と答えてくる。実際は東京だ。次に映すのは、朝のラッシュ。
閉まりかけの満員電車のドアからはみ出している人を押している駅員が映っている。「たくさんの人が電車に乗ろうとするので、ドアを 閉じるために助けが必要です」と言うと、「プッシュマン」と生徒が叫ぶ。次は駅の駐輪場を見せる。
自転車が詰められて並んでいる場面だ。
「どうやって自分の自転車を見つけるの」とよく尋ねられる。「記憶力が悪くて自分がどこにとめたか覚えていないと、自転車は見つけられません」と答えると、生徒がゲラゲラ笑い出す。
混んでいる夏のプールの写真を見せて「ここはどこだかわかりますか。実は、ここに映っているのはアリではなくてみんな人なのですよ」と言うと、彼らは「ワー」と溜息をつく。
伝統的な日本のスポーツ、相撲の写真を見ると、「スモーレスラー」と歓声があがった。


日本の建築も見せた。
「お寺」「あなたの家でしよ?」「皇居」「神社」などさまざまな答えが返ってくる。「これはお城です。でもこのようなお城もあります」と言って見せるのがシンデレラ城だ。
彼らは「デイズニーワールドだ!」と答えるが、これは東京ディズニーランドの城である。
盛り上がるのはここからで、「日本にアメリカと同じようなものがあります」と言って次のスライドを映す。「マークドーナルド!」「ケーエフシー(ケンタッキーフライドチキン)!!」「セブンイレブン!!」と彼らは大喜びだ。「でも日本食も食べています」と言い、寿司や一般的な夕飯の様子を見せて次に 「お腹がいっぱいになったらどこかへ行かなければなりませんね。ここはどこだかわかりますか」と続ける。
「トイレ!」と生徒。
「どうやって使うかわかりますか」と私。
「ここに立つ」「いやいや、座るんだよ」と生徒が口々に答える。
「実はこのように使います」と、ズボンをはいたままでそれらしき格好をしている写真を見せると、「しゃがむんだ!!!」と大爆笑になる。


スライド後半が私自身の紹介だ。
私は子どもたちに、日本人としてだけではなく、私自身として、一人の人間として接してほしかった。
「これはある母親と赤ん坊の写真です」と言うと、「あなたの写真!?」「ワー」と甘い優しい声が返って来た。
幼稚園時代から大学時代の写真まで、私が写真の中のどこかに写っていることを知った彼らは、いっしょうけんめいに当てようとする。
そしてそれは驚くほどよく当たる。
よく見ているのだ。


小学校のときの掃除風景には、米国では生徒が掃除をする習慣はないため、みんなびっくりする。
「みんなもしますか」と聞くと「しません」と答えるので、「今日から毎日掃除してみますか」とわざと聞いてみると「ノー」。
しかし、先生からは「いい考えですね」と返ってきた。

高校時代の応援団の写真、大学時代、成人式のときの私を見せたりして、とうとう最後のスライドになる。
高校時代の応援団の写真、大学時代、成人式「彼女たちが何をしているかわかる人は?」と尋ねると、「庭の手入れをしている!」「花を見ている」と生徒「彼女たちが何をしているかわかる人は?」とは答えるが、それは公園でお辞儀をしている人の写真だ。


最後にみんなで挨拶の練習をしてスライドシヨーを終了する。


基本的には依頼側の要望や年齢に応じてプログラムを組み立てるように心がけた。例えば、折り紙。
低学年相手のときにはコップや犬や猫、高学年のときには鶴や奴さんをよく折った。
ところが、正方形を半分に折って長方形にするというその段階からつまずく子がいる。角と角を合わせるという感覚がつかめないらしい。ただ半分に折ればよいというものではないので、説明が必要である。「僕にはできないよー」と悲鳴をあげる子がときどきいる。「やる前からいわないでよ」と思ったが、とにかく手伝いながら、遅い子に合わせて進めていった。そうすると早くできた子が他の子を手伝ってくれるからだ。
とはいえここでも問題がある。中には、私に折ってもらいたいらしく、他の子に手伝ってもらわずに私が回ってくるのを待っている強者もいるのである。このように苦労しながら作る折り紙だが、できたときのきの喜びは大きい。宝物のようにうれしそうに自分の作品を見ている。家に帰って両親に見せる生徒も多いようだ

あるとき、たまたまNACのブローシユアーを手渡した相手から「あなた、この前学校で折り紙を教えた?」と尋ねられた。

そうだと答えると、「うちの娘が喜んで見せてたわよ・あなたが教えてくれたのね」といことである。

このようなことがときどきあった。

あるクラスでを折っコップを折ったときのこと、後でこれで水飲める」と生徒が聞いてきた。「これはおもちゃのコップだから・・・」と答えたが、教室を見渡すと何人かの子どもが、既に水道で水を汲み始めている。

これには驚いた。

折り紙で折る奴さんは、できあがったら顔を描かせて、ついでに名前を書いてもらう。

それから前の方に座っている子に尋ねる。

「マイケル、私と友達になってくれますか」。

「イエス」-..ここで、私の奴さんとマイケルの奴さんの、手の部分をつなぐ。

反対側の手が空いているので、今度はケイディーにも同じことを尋ねる。

こうやって奴さんの輪を作っていく。

最後に「もしこのように世界中の人が手をつないだら、そこから何が生まれると思いますか」と尋ね、どうやって平和を作るか考えた。


踊りやお茶会は、静かな雰囲気をつくるのにもってこいである。みんなシーンとして見てくれる。踊りは、「祇園小唄」を少しだけ披露して、その後は皆で「炭坑節」を踊った。お茶会は盆手前をして、お抹茶は味見程度にほんのちょっとだけ飲んでもらった。

ひらがな、かたかな、漢字は、誰でもとても興味を示す。

あるとき、先生に生徒の名簿を渡されて、一人一人に日本語で名前を書いてほしいと言われた。

以来、時間があれば、全員の名前を書いてまわるようにした。

生徒たちは自分の名前を書いてもらうととても喜ぶ。

プレゼンテーシヨンが終わってからも、「妹の名前も書いて」「お母さんの名前も」と、私のそばを離れない。

後でよく感想文をもらったが、それに、私が書いたかたかなの自分の名前をいっしょうけんめいに真似て書いている生徒もいた。

おもちゃは、まだプレゼンテーションに‘慣れていなかった頃は、教室中が大騒ぎになるので、あまりやりたくなかったのだが、そのうち紹介するコツが徐々にわかってきた。私からはやり方を説明せず、代表者に試してもらう。

この方法に変えると、彼らは想像力をふくらまして色々挑戦するようになった。

例えば、紙風船は、触ってみて広げると帽子の形になる。

たいていの子はそれを頭にかぶる。

けん玉の場合、玉を床に当てて転がす子もいれば、空中で振り回す子もいた。

だるま落としは人形だと思っている様子で、「このたたき棒を使います」と
ヒントをあげると、上からボコボコたたいたりする。実に発想が豊かである。ほかにも、なかなか開くことのできない扇子や、米国でもI慣れ親しまれているお手玉などを紹介した。

彼らの笑顔を見ていると、日本の子どもの笑顔と変わらない。
目をキラキラさせて、好奇心のかたまりのような彼らが、これからどのように成長していくのか、とても楽しみである。

第3章に続く