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0=∞=1 全てが一つ、皆が輝くディバインスパーク

アメリカでの平和活動体験記1999~2000 その8

第8章 では、私の夢は?

 

 「日本へ帰ったらどうするの」この質問は何十回いや何百回と受けたような気がする。

そこで私は答える。
「国際交流や世代間交流を促進するような仕事…子どもたちが色々な体験をし、学校以外の多くの人とも出会える機会をつくることをしたい,..」

「で、どんな所に就職するの」

「例えば。・・」

頭の中にイメージがあるのに答えにならない。

「就職」という言葉が引っかかる。

大学4年の時、同級生が就職活動をしている中、私は渡米の準備に追われていた。

つまり、就職活動をしなかった。

卒業後、1年間アメリカに住み日本へ帰った時は、既に新卒扱いにならない。職歴がないので転職扱いにもならない。

しかも日本は不況だという。

海外にいてもその点の情報は耳に入ってきた。

今は今、帰国してからは帰国してからと割り切りたくても新しい人に出会うたびにこの質問を受けた。
同級生の友達に手紙でその気持ちを打ち明けると、「私から見たら、まるちゃんは胸をはって、『こういうことをやってきました』って言えるものを持ってると思う。

今の1年間のボランティアのことはすご<PRできることだと思うし、その活動をして得たものが絶対にあるでしよ?そういう何かを持ってる人は、話をしてても表れるものだし、プラスになってると思うな」と、自信を持つようにというアドバイスをくれた。既に社会人の友だちからは、「せっかく1年間U.S.A.で過ごしてきたわけだし、そんな陽子がこれまでしてきたことを理解してくれ、自分自身を殺すことなく楽しく仕事ができるような環境を見つけよう」と前向きな返事であった。

これらの手紙を読んで、先のことよりも、今のこの体験一瞬一瞬を大切にしようと決心した。

さて、帰国後であるが、私はすぐに就職面接会に参加した。

必ず聞かれるのがこの質問、「卒業後1年間何をしていたの
か」であった。
数日後、二次面接の最中にも、同じことを聞かれた。そこで私はいつものように、NACの活動、自分のしてきた体験を話した。

すると、面接官の方が、ボランティアと仕事の違い、つまり仕事の厳しさを説明された後で、彼が行っているボランテイア活動のことを話してくださった。

阪神大震災のとき多くの若者がボランティア活動をする姿に感動したこと、現在障害者のためのボランティアを行っているが、退職後は本格的にボランティア活動をしようと考えていることなどである。

最後には「いっしょに仕事をしましょう」と言って握手をしてくださった。こうして卒業後1年間行ってきたNACの活動は、就職につながった。
私には今後実現させたいことがある。

米国では日本文化の紹介とヒロシマ"ナガサキからの平和メッセージを伝える活動をした。

次は、日本で行う番である。

私が見た米国文化(教育、家庭、夢を抱く米国社会の人々・平和・社会運動)を神奈川県の人々に紹介したい。講演をする機会などがあればぜひ参加したいと思う。
今、振り返ると、中学時代広島平和ツアーに参加した体験が、私が平和について考え、行動するきっかけになった。

イメージとして心に残った体験は、成長するにつれて様々なことを学ぶなかでふくらみ、NACに参加するという具体的な形になって表れたのである。それは、主催の平和の輪を広げる100日間実行委員会(藤沢市)が広島平和ツアーを企画し、体験学習の場を与えてくれたことによるものが大きい。

今度は私も、子どもたちにチャンスを与える側として活動に参加するつもりだ。

具体的には、キャンプなどを企画して世代間交流、異文化交流の機会をつくる。

子どもたちに、出会い、体験を通して多くの価値観を知ってもらい、広い視野を持つ人間として育ってもらいたい。

かつて私がそうであったように、それが彼らの人生のどこかで役だってもらえるならば、彼らが行動する力につながっていくならば、そこから多くの可能性が生まれてくる予感がする。

そして、従来続けている青少年指導者としての活動に、米国で学んだことを生かしたい。

子どもとスタッフが平等の関係に立ったキャンプ指導、個性を伸ばす教育方法、「あなたはすばらしい」というメッセージの伝達など、取り入れたいことはたくさんある。
多くの人と連帯することで、それを少しずつ実現していきたいと願っている。

おわりに 

へ続く。