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なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第3章③

3-3 パールハーバーの影響

 

第2章で、ラジオ局の原爆展に対する討論でホストを務めたマーク・ギルマンは、「彼らが真珠湾さえ攻撃しなければ、エノラ・ゲイも原爆を落とされずにすんだんだよ」(同上:10)と述べていた。

 

アメリカでは、真珠湾攻撃で日本が戦争をしかけてきたのだから、原爆が落とされてもしかたがなかった、という思いを多くの人が持っている。一般の人々にとっては、アメリカは真珠湾攻撃の被害者だったからだ。

 

アジア太平洋戦争が始まってから50年目、1991年12月8日に、パールハーバーでは、奇襲で亡くなった2400人余の犠牲者の遺族と生き残った元兵士が中心となって、現地時間の12月8日から7日まで4日間にわたって記念行事がもたれた。

 

そのクライマックスは、今なお1200人近い遺体を残したまま沈没している戦艦アリゾナの真上に建設されたアリゾナ記念館で、奇襲が行われたのと同じ時刻の、12月7日の午前7時55分にあわせて挙行された追悼式展であり、ブッシ ュ大統領も出席した。日米開戦50周年にかける米国側の思いの強さがうかがわれる。

 

パールハーバー奇襲は、アメリカの人々の間に日本人に対する否定的イメージを植え付けた。油井は、『日米戦争観の相克』で、次のように述べている。「元来、アメリカ人にとって、『パールハーバー攻撃』とは、単なる『奇襲』ではなく、一方で平和交渉のポーズをとりながら、その交渉打ち切り通告に先だって強行した『だまし討ち(sneak attack)』と認識された。」(油井 1995:51)

 

その原因は、ルーズベル ト大統領の演説によるものである。1941年11月8日、にルーズベルトは、「12月7日は屈辱の日として記憶に残るであろう。合衆国は日本帝国によって、突如 計画的に襲撃されたのだ」と演説した。(NH スペシャル 「真珠湾攻撃・暗号を解いた情報部員たち」)12月7日を「永遠に汚点を残す日と宣言したのである。この「永遠に汚点を残す日」が、アメリカ人一般に広く記憶されることになった。

 

それは、日本に対する否定的なイメージと 同時に、パールハーバーを奇襲されるような屈辱的な体験が、二度と起 こらないように、強大な軍事力を、平時においても維持しなければならないという意識も生み出したのである。

 

第3章④へ続く。。。