peacebirthday

0=∞=1 全てが一つ、皆が輝くディバインスパーク

アメリカでの平和活動体験記1999~2000 その1

はじめに

 

 

中学3年の春、受験の真っ最中、学校と家庭を往復する毎日に物足りなさを感じ、何かをしたいと強く思っていた私は、広島平和ツアーに参加する機会を得た。

広島では、原爆資料館見学、記念式典参加、地元の小学生との交流など様々なプログラムが組まれていた。だが、最も印象に残ったのは、語り部沼田鈴子さんの話であった。

8月6日の朝、声をかけてくれた友人を無視して通勤し、それが最後の別れになったことを今でも悔やんでいること、被爆後、片足を麻酔なしで切断したこと、生きる希望を失いかけたことなどを語ってくださった沼田さんは、生きたくても生きられなかった人の中で生かされた自分がやるべきことは、命の尊さ、平和の尊さを,戦争を知らない世代に伝えることであり、広島、長崎の事実が若い人の力で継承されることを願っているとおしゃった。

この中学時代の強烈な体験は私の心からずっと離れなかった。

高校生のときには、ホームルームのスピーチで平和をテーマにしたこともある。自分はそのために何ができるだろうかと考え、「世界中の人が友達になったらきっと世界は平和になるだろう」と思い始めるた私は「国際交流のつどい」、「アジアの架け橋の会」に参加した。この会に文教大学の留学生が参加していたことがきっかけとなり、私はその後同大学に入学した。

文教大学のの国際学部にはアジアからの留学生が数名いた。初めて彼らに会った当初、私は彼らに「中国ではどうだった?」「韓国では?」「台湾って?」とそれぞれの国のことについて質問していた。しかし、時が経つにつれ、彼らは私にとって、例えば「台湾の講さん」ではなく、ただ「薫さん」になった。

多くの留学生と友達になる機会があったことで、同じ国の留学生もみな様々に異なるということを知ったし、逆に国や育った環境が違っても友達でいられるということを、身をもって体験した。

 

目次

 

 

  • 第1章ネバーアゲインキャンペーンとは?
  • 第2章私の活動
  • 2−1ブローシュア
  • 2−2プレゼンテーションの実際
  • 第3章広島、長崎
  • 第4章人々との出会い
  • 4−1留学生課
  • 4−2ホストファミリー 
  • 4−3そのほか
  • 第5章米国の教育
  • 第6章つらい!
  • 第7章夢を抱く米国社会の人々--男女に関係なく、年齢に関係なく
  • 第8章では、私の夢は?
  • おわりに

 

第1章ネバーアゲインキャンペーンとは?

 

 

広島、長崎の惨禍を再び繰り返さないという趣旨のもとに、レイスロップ夫妻と北浦葉子氏の手で1985年より始められたネバーアゲインキャンペーン(略称NAC=ナツク)は、政治色を抜きにした平和のためのボランティア活動であり、日本からの参加者が日本文化を紹介するとともに広島、長崎からの平和メッセージを伝達する。

具体的には、参加者一人ずつが米国各州に散らばり、教育機関(幼稚園から大学まで)、教会、福祉施設などでプレゼンテーションを行うということになる。日本人のボランティアが渡航費を負担して活動するかわりに米国側のボランティアがステイ先を提供するという日米両国の民間外交プロジェクトであり、草の根的な国際交流に大きく貢献するものである。参加者は活動の意義について学び、さまざまな研修を受けた後に渡米する。受け入れ先が決まれば、日時と内容を確認した上、各自が考えたプログラムに基づいて講演活動や話し合いをする。

 

第二章に続く