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アメリカでの平和活動体験記1999~2000 その3

第3章 広島、長崎

第3章広島、長崎

 

12月末に高校生の冬のキャンプにスタッフとして参加した。

このキャンプには、自然散策、ゲーム、ディスカッション、工作などさまざまなテーマのワークショップがあり、高校生が好きなテーマを選ぶ。

私は、広島、長崎をテーマにしたワークショップを受け持った。

誰も集まらないかと思ったが、7人ほどが参加してくれた。

映画「人間を返せ」を上映すると、真剣な表情で観賞し、終わった後はシーンと静まり返った。

もう一人のスタッフが、重い映画だったのでしばらく目を閉じて考える時間を持ってはどうかと提案するうちに、ポツリポツリと意見が出てきた。
「原爆はバカげている」
「でも、私たちがやったことでしょう?」
「そうだよ、私たちがやったんだよ」
被爆の事実をもっと知らなければならないと思う」
それぞれ思い思いのことを述べる。米国が原爆を落としたことを「我々がやったのだ」と言う子がいる。

これは、日本の生徒が被爆体験を聞く時とは異なる反応だ。私は、米国の子どもに加害者意識を持ってほしくはない。そこで、戦争は50年前に終わったけれども、今でも苦しんでいる被爆者がいて、それでも未来の子どもたちのために平和を願って語り部活動をしており、米国で友人をつくってくるようにと私に対しても言ってくれたということを伝え、「過去は変えることができないが、未来は変えられるのだ」と話した。

日本へ帰る直前に、ニューメキシコ州のアルヨデルオソ小学校に招かれた。この学校では、1989年の秋、3,4,5年生の生徒が、将来の問題解決のために、現実的な策をたてるというプログラムを行った。軍備拡張について考える子どもたちのクラスは、軍拡競争を終わらせる手段を話し合うことになった。ある日、生徒は、『サダコと千羽鶴』の話を聞く。広島で被爆したサダコは、原爆病と戦いながら、生きたいという願いをこめて千羽鶴を折り続け、彼女の死後、クラスメートが募金を集め、原爆のない平和な世界を願ってサダコ像を作ったという話だ。その話に影響された生徒たちは、米国に、サダコの姉妹像を建てることにした。


この平和授業は、教師が教えるだけではなく、生徒が自由に討論し、自分たちの結論を出すしくみになっていた。その結果、子どもたちが中心の平和プロジェクトが始まった。彼らによって、出資、設計された平和の像は現在はサンタフェにある。当初、原爆が作られた地であるロスアラモスに像を設置する計画であったが、議会に拒否され、アルバカーキーに設置されることになった。数年後、少しでもロスアラモスに近いところにという希望で、サンタフェに移ったのである。子どもの純粋な平和を願う気持ちから始まった運動の成果がここに見られる。

このような子どもたちに比べると、大人の反応は微妙に異なる。
「でも、原爆は多くのアメリカ人の命を救ったんだよ」
「原爆が多くの命を救ったというのは間違いだという説があるのは知っている。でも、原爆は多くの命を救った」
「日本はキリスト教徒が数パーセントだから…」
などという意見もあった。一方で、「あなたの活動に感謝しています」と言ってくれた方も多かった。
滞米中、広島に原爆が投下された8月6日、ニューヨーク州ニユーポルツの公園で、夕方、平和コンサートが開かれた。

私もこの集まりに参加することになった。

「サダコと千羽鶴」の話を紹介しながら、折り鶴をいっしょに折った。

公園に設置されたパネルには、広島の被爆写真や、日本国憲法の第9条などが展示されていた。

ニューポルツ市民の平和への思いが伝わってきた。


ニューイングランド地方のクエーカー教徒の会議に参加した時のことである。

8月9日、長崎に原爆が投下された日、屋外の塔に集合して黙とうするプログラムがあった。

当日は20人ほどが朝6時に集まり塔の周りに座った。

私はこの会議でもプレゼンテーションを行ったが、被爆映画を上映した時の聴衆は、多くを語らなくてもNACの活動をよく理解してくれていた。

人々の顔からは温かさが感じられた。会議の最後の日、終了式が始まるまえ「あなたのしている活動は名誉あることだから、壇上にあがって座るべきだ」と言う人がいた。

彼は、会場で私を見つけると実際に壇上に案内してくれた。


また別のある日、牧師のエマロは、被爆者のために祈りたいからプレゼンテーションをしてほしいと言う。

その夜集まった半分以上が黒人であった。

映画「人間を返せ」を肩を抱き合って観賞している夫婦を見た時、何とも言えない思いがした。
その後、一人一人が順番に祈った。そして最後にはみなで歌を歌う。平和を願う人々の気持ちは国境を越えてつながっているように感じた。

 

米国では、原爆投下によって多くの命が救われたと信じる人もいる。

第2次世界大戦を体験した世代は、今でもその時感じた記憶が残っているからである。

しかしながら一方で、子どもたちが行った平和運動のように、広島、長崎の体験を学び、現在と未来の平和を作ろうとする人もいる。

戦争の記憶が残る世代は、いまだにそれを引きずっているが、過去から学び、自分たちの手で平和をつくっていこうとする世代も生まれているのである。

 

第4章へ続く