第6章 つらい!
忙しい
私は多少スケジュールが詰まっていても、頼まれたプレゼンテーションはできるかぎり受けたいと思っていた。
プレゼンテーションの手配をする際には、校長の許可を取り、生徒に話し、迎えの手配をし、必要な備品を用意して…と様々なステップを経て日取りと時間が決められることをわかっていただけに、断りたくなかったのである。
離れた地域に出向く泊まりがけのプレゼンテーションが続いているときには、帰ってくると次の旅に向けて洗濯をして、留守電をチェックして、必要な電話をかけ、荷造りを済ませた。
このようなときには感想文などが送られてきても読む時間をもてなかった。
説明疲れ
新しい人と会うたびに、私が誰であり、どこから来て、どうしてここにいるのかを説明する必要があった。
日本に住んでいると、神奈川県出身と言えばそれですむ。でも、米国ではその次に「神奈川ってどこ」と尋ねられた。
「東京の南」と答えると、「じゃあそれって京都や大阪の近くでしょう」と言う人もいる。
NACの説明も簡単ではない。
「学校などをまわりながら、日本文化の紹介と広島、長崎からの平和メッセージを伝える活動」と言うと、「どこの学校の教師」と尋ねられて「教師ではなく、ボランティアで。.」とまた最初から説明しなおさなければならない。
たいていの人は最初私を留学生だと思っている。
「留学しているの」と聞かれたときに、「はいそうです」と答えられたらだ
いぶ楽だろうと思った。
重い
プレゼンテーションの最中に何が起こるかは行ってみないとわからない。
例えば、スライドを映すのに、スライドプロジェクターがない、ビデオを見せるのに、機械の調子が悪い、私がプレゼンテーションを行っているのを聞きつけた他のクラスの教師に突然かりだされる…予期しないことがたくさん起こった。
だから、いつもキヤリーバッグには、あらゆるプレゼンテーションの道具を詰め込む。
それは重いし、かさばるし、運ぶのは楽ではない。
子どもキャンプでプレゼンテーションをすることになっていたあるとき、そこへは電車で移動しなければならなかった。
自分の身辺道具に加えてプレゼンテーションの道具を運んでいたので、大荷物で大変重い。
駅のホームで荷物を引きずるようにして歩いていたら、後ろから女の人が声をかけてくれた。
さっと私の荷物を取って、電車に乗り私が席に着くまで運んでくれたのである。
彼女は近くに座ったので、話をすることができた。NACの活動に興味がありそうだったのでブローシュアーを渡したら、数日後、若者の集まる会合でプレゼンテーションをしてほしいと電話をくれた。
それは心温まる出来事であった。
第7章 夢を抱く米国社会の人々−男女に関係なく、年齢に関係なく