peacebirthday

0=∞=1 全てが一つ、皆が輝くディバインスパーク

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第2章①

第2章

2-1    原爆展の反応

展示台本第一稿の冒頭部分はアメリカでもっとも激しい非難を受けた。それは、次の文章である。「多くの米国人にとってこの戦争はドイツや イタリアとの戦争と根本的に違っていた。この戦争は復讐戦であった。多くの日本人にとって、この戦争は自分たちの固有の文化を欧米帝国主義から守る戦争であった」(フィリップ1995: 55)

 

4月になると空軍協会の専門誌である『エアーフォースマガジン』が、 ソニアン批判の特集記事を組んだ。編集長のジョンコレルの主張は次のようなものであった。

 

第一に、展示台本によると、エノラ·ゲイ号は、 原爆開発と広島、長崎への原爆投下という流れの中で分析されており、 特に被爆地の惨状について感情的な内容が含まれている。

 

第ニに、台本には日本軍によるアジア侵略と真珠湾奇襲攻撃が欠落している。それはアメリカにとっては「復讐戦」で、日本にとっては「固有の文化を欧米帝国主義から守る戦争であった」という印象を与える。

 

第三に、原爆投 下の決定は日本にショックを与え戦争を早期に終結させるのが目的であ った。それが実現して本土上陸作戦を回避できたのである。(林1998 30)

 

ジャーナリストの斉藤道夫は、6月にコレル編集長にインタビューをした。コレルは、「展示は戦争の最後の六ヶ月だけを文脈から切り取ろうとしており、原爆の企画をもり立てるためにB29を人寄せに使おうとしている。そして凝った道具立ての“感情センター” を作り出そう としているが .....こうしたことから生み出される効果は、アメリ カは情容赦ない侵略者であり、日本人は本土を必死になって守ろうとしている、ほとんど受動的な立場にあったかに見せることになる。」と述べた(斉藤1995a : 65)

                   

彼は、展示が文脈とバランスをかいていること主張している。「たとえばグランド·ゼロのセクションだ。ここでは全部で38の展示物があるが、これは女性や子どもの遺品、それに宗教的な損壊物だ。

 

博物館は 私に偶然こうなったのだというが、どうして女性、子ども、そして宗教的なものがこれほど偶然に強調されるのか理解できない」と述べた。(同 上:66)

 

また、原爆の投下に対して彼は「1945年当時の状況から考えれば、それは軍事行動として妥当な決定だったと私は思う」と述べて いる。(同上)

 

空軍協会はエノラ·ゲイを原爆の犠牲者の写真と並べて展示することに反対していた。被爆者の写真を並べた原爆展は来場者の感情に訴える からである。来場者が被害者へ同情することは、空軍の使命やその存在 を問われることになりかねないというのが空軍協会の見解であった。

 

それは、飛行機の使われ方も展示し、核時代にどう生きるかを考えてほしいという博物館側の要望と、基本から違っていた。

 

展示台本を非難したコレルの記事が、『エアーフォース.マガジン』に記載された前後から、マスコミから批判の声が起こり始めた。1994年6月2日、ワシントン郊外の中波ラジオ局「WAVE」では、原爆展に対して視聴者参加の討論を行った。マーク·ギルマンがホストを務め、博物館側のトム·クラウチと、原爆展に反対しているコレル編集長がゲストとして参加した。

 

斉藤(1995 : 70-75)の報告によると、ある視聴者は、「私の父は太平洋でB29爆撃機を守る戦闘機のパイロットだった。クラウチさんに質問したいんだが、展示では1930年の日本の残虐行為についてどれほ ど触れるつもりなのか。」と聞いた。

 

クラウチは、「われわれは最近写 真を追加するなどの措置をとった。たとえば南京虐殺なとかのね。」それに対してその視聴者は「私がいいたかったのは1930年代の日本は、 あのあたりでは超大国で、周辺の国に行ってそこの子どもたちや女子ど もを殺していたということなんだ。」と言い返している。

 

この視聴者の 発言からは、日本が、残虐なこと行ったから、自分の父がパイロットと して戦ったのだという思いが伝わってくる。

 

また別の視聴者は、「私がここにいるのはく原爆のおかげだ。父は上陸 作戦に参加するはずだったからね 。日本の司令部になるはずだったんだろう?」とクラウチに問い、彼が「そうだ」と答えると「だったら合法的な攻撃目標になる。 この事実を確認したかったんだ。。」と述べた。

 

ところで広島は上陸作戦があったら 確認したかったんだ」と述べた。上陸作戦が行われたら、 父は死んでいたかもしれない。自分が今、生きているのは原爆のおかげ だということである。

 

それに対してギルマンは、「彼らが真珠湾さえ攻撃しなければ、エノラ·ゲイも原爆を落とさずにすんだんだよ。」と言い、クラウチは、「も ちろん我々は太平洋で誰が侵略者だったか、それをはっきりさせる。」 と答えた。

 

以上をまとめると、原爆展の反対者の主張は日本が始めた戦争ではな いか。日本はアジアで残虐なことをしていた。真珠湾も攻撃した。だからアメリカは戦争に巻き込まれた原爆がなければ上陸作戦に参加しなければならなかったということである。

 

『エアーフォース·マガジン』は、退役軍人であるベネットとルーニ ンが、スミソニアンの原爆展に反対する署名運動を進めているというこ とを記載していた。2人は、1941年に志願した太平洋戦争に従軍 し、東南アジア地域に配属されてB29爆撃機の乗員となり、日本軍相手の偵察任務などに就いていた。

 

第2章②に続く。。。