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なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第4章②

4-2 ロスアラモスと原爆

平和基金は、原爆展が始まった94年春までに1万5000ドルを越し、

子どもたちの署名2万5000人分は、世界中の50カ国以上から寄せられてた。

 

そんな中で子どもたちは、平和の像をロスアラモスに建てるため、

ロスアラモス市議会に正式に要請した。


1992年11月16日に最初の公聴会が開かれた。

アルバカーキー市ラ・クエバ高校の生徒、ジャック・ソートンは、

「私たちは今日、子ども平和プロジェクトのグループとしてやってきました。

そして平和の記念碑をここに建てるため、その用地を探してくださるよう

お願いします。この記念碑は1995年の8月に建てられます。」と訴えた。


子どもたちの陳情が終わったところで、

議長は、傍聴席にいた地元市民のおとなたちに意見を求めたが、

ロスアラモス市民のジョージア・フリッツは、はっきりと反対意見を述べた。

 

「ロスアラモスに建てるのには反対です。

これは歴史を書き換える始まりになるのでないでしょうか。

ロスアラモスは、たいへんな悲劇だった戦争を終わらせるのに

大きな役割を果たしたのであって、何百人の子どもを殺した兵器の製造場所として

記憶されるべきではないと思います。(サダコの像の)姉妹像を作るというのなら、

そういう記念碑の場所には真珠湾がずっとふさわしいと 思います。」

 

原爆は、大量破壊兵器として記憶するのではなく、

真珠湾攻撃で始まった戦争を終わらせたと記念すべきということだ。


ロスアラモスの研究所の職員、アル・チューマッツも反対だった。

自分の所属する研究所が原爆を開発したことを喜んでいるという

チャーマッツは、記念碑を建てるなら、そこに日本軍はアメリカ兵捕虜を

首切り処刑にしたことなどを刻むべきだと述べた。

 

「さらに、われわれが本土に侵攻しなくてすんだため、

100万人からの人名が失われずにすんだということを何らかの形で祝うべきだし、

最後にですね、記念碑の一番上には(ロスアラモス研究所の)

元所長ハロルド・アグニューの不滅の言葉、“奴らにはこれこそがふさわしかった”

という言葉を刻むべきだ。」奴ら=日本人が原爆で殺されたのは

当然だったというのである。


モリー・ボングラツは、平和の像の除幕式を広島に原爆が落とされてから

50年目の1995年8月6日にしたいという子どもたちの希望を問題として取り上げた。

「(除幕式を)第二次大戦が終結し平和が宣言された日ではなくて、

広島の50周年にするというものも考えて見ればわからない話ですよ。

・・・・・一部の人はこれがロスアラモスに建てられるべきだと

考えているようですが、私には広島と釣り合いがとれる場所といったら

たとえば真珠湾だと思いますがね。」


子どもたちの平和の像を求める訴えは、おとなたちの議決では少数派であった。

しかしロスアラモス市民も全員が反対論を述べたのではない。


市内に住んでいるカレン・シュラムは、子どもたちに起立を求め、

立ち あがった子どもたちと議員の顔を交互に見ながら、涙声で訴えた。

「みなさん、この子どもたちの顔を見てやってください。

聞いて下さい、彼らの意図が何なのか・・・・・

戦争で失われた命に対して、私たちの心 はこんなにも聴いのですか・・・・・

どうか平和があなたの心に宿りますように。

そしてみんなの心にも。心の醜さは破壊しかもたらさない、

平和は希望と愛をもたらすというのに。」

 

しかし、議員たちは、子どもたちの訴えの中に、

平和の像が広島と結びついているという危険を感じ取っていた。

 

ロバート・フィッシャー議員は「もしこの像がどういうものか、

どういう言葉が刻まれるかなどわ かっていたら投票できるんだけどね。

しかしいまの時点では、まだ何だかわからないものに対して投票はできない。」

と述べた。

 

ストレッチ・フレット・ウェル議員はもっと具体的だった。

「議長、これが平和記念碑を提案しているんだとしたら私は賛成できます。

そしてその記念碑が太平洋の平和の達成された日だとするならば。

それは私 たちにとっては喜ぶべき日だったんですよ、若い人は知らないだろうけれど。

つまり、平和の達成された日、8月15日だったかなあ、

あの戦艦の上で太平洋軍のマッカーサー将軍との署名が行われた日ですよね、

それだったら平和の像に賛成できると思うんです。」

 

フレットウェルは、戦争が終わった日と、日本が戦艦ミズリー上で降伏文書 に

調印した日とを混同していたが、つまり、彼が言いたいのは、

平和の像を建ててもいいが、除幕式は、広島に原爆が落とされた8月6日ではなく、

8月15日か9月2日、アメリカが日本に勝った日にせよということである。

 


「ロスアラモス市議会は1992年11月の公聴会の後で、次のような決議を行った。

 

「子どもたちの平和の像の建設を認める。しかし除幕式はVJデーにすること」

 

 VJデーというのは、対日戦争記念日と訳されている。

すなわち、議会は、平和の像の建設を認めるが、その意味を原爆の破壊ではなく、

原爆の栄光に解釈したといえる。

原爆によって平和がもたらされたという意味にするためである。