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なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか  まえがき

まえがき

1 9 9 8年6月、私はネバーアゲインキャンペーンのボランティアに選出された。

ネバーアゲインキャンペーンは、米国の学校や教会などを まわりながら広島·長崎の体験と日本文化を伝える民間外交プロジェク トである。

同プロジェクトにおいて、広島·長崎の体験を伝えるために は、アメリカの人々が、原爆をどう見ているかを知る必要があると思った。それが、私が本研究を進めることになったきっかけである。

 

1999年2月の渡米のために、現在までの間、被爆者のインタビュ ーを行ってきた。私が出会った被爆者は、少しでも多くの人に、原爆の 恐ろしさを伝えて行こうとしていた。しかし、そういった声は、アメリ カに届いているのだろうか。

私は本研究においてスミソニアン博物館の原爆展をめぐる原爆展論争をとりあげた。原爆展に賛成する意見、反対の意見から、なぜそのよう な違いが起こるのかを考察する。

 

本論文の構成は以下の通りである。 第1章は、スミソニアン博物館が、原爆展を行うに至った経緯を説明 している。原爆展の計画について、展示台本の特徴について述べている。

 

第2章では、原爆展をめぐって始まった論争を取り上げる。空軍協会、 退役軍人協会、歴史学者の見解を事例に取り上げる。それまでの内容を 踏まえて、展示内容の変更にいたったいきさつを考察する。

 

第3章では、対日原爆投下の米国政府公式見解を確認し、原爆展が中 止になった背景を考える。そのために、専門家の意見を取り上げる。 第4章では、原爆展をめぐって論争が起きている頃、アメリカの子どもたちが、平和の像をつくろうとした運動を取りあげる。

 

終章では、第1章で掲げた原爆展の計画に立ち戻り、第2,3,4章の事例考察から導かれた結論を整理し、筆者自身の研究の方向性を示す。

 

追記:本稿においては、漢数字は出来るだけ使わず、アラビア数字を用いた。引用文においても、原文の趣旨を損なわない限り漢数字をアラビア数字に置き換えた。