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2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第4章②

4-2 ロスアラモスと原爆 平和基金は、原爆展が始まった94年春までに1万5000ドルを越し、 子どもたちの署名2万5000人分は、世界中の50カ国以上から寄せられてた。 そんな中で子どもたちは、平和の像をロスアラモスに建てるため、 ロスアラモス市議会に正式に…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第4章①

4章 本当に広島、長崎の声はアメリカに届かないのか スミソニアンの企画に反対する声があがる一方で、 アメリカの小学生は、広島で被爆した少女の話を聞いて、 アメリカにも、平和の像を作ろうとした。 この章では、子どもたちが取り組んだ平和運動を取り上…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第3章④

油井は、真珠湾攻撃は、アメリカの海の孤立主義とよばれた外交観や 安全保障観の転換を迫られた衝動的な体験でもあったと述べている。 二つの大洋によって隔離され、西半球には米国は 米国に対抗しうる大国が存在しないという地政学的な条件に助けられて、 …

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第3章③

3-3 パールハーバーの影響 第2章で、ラジオ局の原爆展に対する討論でホストを務めたマーク・ギルマンは、「彼らが真珠湾さえ攻撃しなければ、エノラ・ゲイも原爆を落とされずにすんだんだよ」(同上:10)と述べていた。 アメリカでは、真珠湾攻撃で日本が戦争…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第3章②

3-2 個人の歴史と記憶 スミソニアンの展示に対する論争で、ステムソンリポートのように、 公式発表がつくりあげられた歴史と、個人の思いこみがごちゃまぜにな って、議論が混乱している分野があった。 つくりあげられた歴史というのは、原爆投下が、100万人…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第3章①

第3章 原爆展中止の考察 スミソニアン博物館の原爆展の計画は、1995年始めに中止に追い入まれた。しかしながら、この計画は、様々な議論を生んだ。第3章では、原爆展の論争で、何が問題となったかを整理する。 3-1推定死傷者数 アメリカでは原爆投下によって…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第2章③

第2章 2-2 原爆展の中止 春から夏にかけて、スミソニアンの展示計画を非難する動きは次第に激しいものとなった。8月10日には24人の米下院銀が「展示は反米的偏見があり、バランスを欠く」(平岡1995: 12)として、スミソニ アン協会事務局長に対して展示内容…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第2章②

第2章 2-1 続き ジャーナリストの斉藤道雄は、1994年の夏、彼らをを訪ねた。 スミソニアンの展示に反対して署名運動を始めたことについて、ベネットは次のように述べている「私は基本的にはエノラ·ゲイを深く自分 自身の問題としてみている。 署名を集めて…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第2章①

第2章 2-1 原爆展の反応 展示台本第一稿の冒頭部分はアメリカでもっとも激しい非難を受けた。それは、次の文章である。「多くの米国人にとってこの戦争はドイツや イタリアとの戦争と根本的に違っていた。この戦争は復讐戦であった。多くの日本人にとって、…

なぜ広島、長崎の声はアメリカに届かないのか 第1章

第1章 アメリカでの原爆展 本章では、筆者の問題意識と研究の論点を示す。 最初に第2次世界大戦終結50周年を記念して、米国の国立宇宙 舘が原爆展を開催するという計画に至った過程を振り返る。 同時に博物館がアメリカ国民に、 広く被爆の実相を伝えようと…